旧日本軍が首里城の地下に造った第32軍司令部壕について、沖縄県は地上戦の実態を伝える重要な戦跡だとして来年度以降の公開を目指しています。
こうした中、県は10日、沖縄戦の記憶の継承に向け大きな役割を担う教員などを対象にフィールドワークを開き、定員の2倍近くの17人が参加しました。
地下に張り巡らされた全長およそ1キロの司令部壕はほとんどが埋もれているため、いまは周辺を見て回るしかありませんが、当時、日本軍がモールス信号を送っていた付近では、アンテナを出していた穴について説明を受けました。
旧日本軍が首里城の地下に造った第32軍司令部壕について、沖縄県は地上戦の実態を伝える重要な戦跡だとして来年度以降の公開を目指しています。
こうした中、県は10日、沖縄戦の記憶の継承に向け大きな役割を担う教員などを対象にフィールドワークを開き、定員の2倍近くの17人が参加しました。
地下に張り巡らされた全長およそ1キロの司令部壕はほとんどが埋もれているため、いまは周辺を見て回るしかありませんが、当時、日本軍がモールス信号を送っていた付近では、アンテナを出していた穴について説明を受けました。